Anton Webern アントン・ヴェーベルン
composer
Born: 1883
Died: 1945/09
アルノルト・シェーンベルク、アルバン・ベルクとともに新ウィーン楽派の聖なる三角形を形成しているアントン・ヴェーベルンは、娘婿のやみ物資取引を取り締まりにきたアメリカ軍兵士から誤って発砲され、即死した。1945年9月、享年61歳ナチストイツが無条件降伏してから4ヵ月も後のことであった。
このヴェーベルンの死は、ひとつの時代の終わりを象徴的に示していると言えるかもしれない。だが同時に彼は、戦後の音楽創造に最大の影響を与えた人物でもあった。戦争の深い亀裂に分断された音楽の歴史のなかで、ヴェーベルンの存在は文字通リの連結点として孤高の光を放っていると言えるだろう。
第二次大戦の空白と断絶はきわめて深刻なもので、戦後の作曲家たちは過去との訣別を強く意識しつつ新たな創作をはじめた。そんななかで例外的に大きくクローズ・アップされたのがヴェーベルンだったのである。戦後最初の大きなムーヴメントは、ブレーズ、シュトックハウゼン、ノーノらによるトータル・セリエリスムだったが、彼らの技法の出発点はシェーンベルクでなくヴェーベルンだった。すなわち、彼の後期の作品にみられる音価のセリーの試み、鉱物の結晶のように明晰で凝縮された構造などに注目したブレーズたちは、「ポスト・ヴェーベルン」を合言葉にその厳格な秩序性をさらに発展させ、別名「ポスト・ヴェーベルン派」とも呼ばれたのである。
一方、現代音楽のもうひとりの中心人物ジョン・ケージも、ヴェーベルン称賛者であることを忘れてはならない。ケージは、音がまばらに点在するようなヴェーベルンの音楽において、休止符が重要な意味をもつことに注目した。ケージによれば、音楽は「音と沈黙」から成っており、両者に共通する要素は持続=時間の長さだけである。沈黙に音高や和音は存在しない。従って音楽の最も根源的な要素は時間なのであり、ヴェーベルンにおける休止符の重視は、この音楽の真実の実践に他ならない、ということになる。
さらにケージは、「べートーヴェン以来、時間を構造の基本に置いたのはサティとヴェーベルンだけであり、和声を基本としたべートーヴェンは間違っていた」と述べているのである。卜ータル・セリエリスムが、音楽のあらゆる構成要素の徹底的コントロールを目指したものとすれば、ケージの偶然性の音楽は、そうしたコントロールを極力排除しようとしたもの、と言えるだろう。ヴェーペルンが、この全く相入れない立場の両一者から同時に支持された事実も興味深いが、よリ注目すべきは、それぞれまるで異なる視点からヴェーべルンの音楽を捉えている点である。厳格な12音主義者というヴェーべルン像からすれば、ケージの解釈は多少ゆがんで見えるかもしれない。だが、休止符にはさまれたその点描的な音楽を実際に聴いた場合、もはやセリーを旋律的流れや和声的まとまりとしてはとらえにくいことも確かである。むしろ個々の音は、それ自体で充足したオブジェのようにも聴こえるわけで、ケージとヴェーベルンが結びつくのはまさにこの点においてなのである。
またヴェーペルンの音楽は意外にも、いわゆるミニマル・ミュージックの誕生にも関わっている。このスタイルの発端を担ったラ・モンテ・ヤングは、その主要な特徴である「反復」をヴェーベルンの音楽から学んだ。ヴェーベルンはセリーを多声的に用いる場合、オクターヴによる調性感を避けるために、同じ音名の音は同じ音域で使っている。そのため、個々の音が声部数と同じ回数だけ反復されているようにも聴こえる点に、ヤングは注目したのだった。ヤングの解釈はケージにも増して、本来のヴェーベルン像からは逸脱しているかもしれない。しかしこうした多義的な解釈の可能性がヴェーベルンの音楽に内在していることも事実であろう。ケージもヤングも最初12音技法で作曲していたことは、その意味で興味深いことである。こうしてヴェーペルンは、トータル・セリエリスムという直系の子孫だけでなく、おそらく彼自身予想もしなかっただろう子孫―それも戦後の時代をリードするようなすぐれた子孫を残すことになった。言いかえればヴェーベルンの音楽は、さまざまな未来を内にはらんだ種子のような存在だったと言えるかもしれない。